金色のアスリート

放送内容

2019.7.27 OA

比江島 慎 バスケットボール

先月。八村塁選手が日本人初となるドラフト1巡目指名を受けNBAの舞台へ―
今、大きな盛り上がりを見せる日本バスケットボール界。
さらに「日本、W杯出場決定」
今年2月には、3大会ぶりとなるW杯出場も決定。
東京オリンピックには開催国枠として44年ぶりに出場することも決定した。
そんな日本代表の中心にいるのが
福岡県出身 比江島慎〈まこと〉

1対1での圧倒的な強さを誇り、スイッチが入ると得点が止まらなくなる時間帯は「比江島タイム」と呼ばれる。

日本代表のエースとなった彼を支え続けた存在とは―
「ここまでバスケを続けてこられたのもお母さんの存在はあったと思いますし」



潮田「言われ慣れてると思うんですけど。でも190cmくらいですか?」
比江島「ちょうど190cmです」
潮田「バスケ界ではそんなに・・・」
比江島「そんなに大きい方ではない・・下から数えた方が早いかもしれないです。代表とかだったら」
潮田「手の大きさとかちょっと比べていただいても良いですか?」
潮田「やっぱり大きい~!」

Bリーグ・宇都宮ブレックスでプレーする比江島選手。
その特徴は見る者を魅了する華麗なプレーと得点能力。

同じチームでプレーする元NBAプレイヤー田臥選手もー
田臥「一緒にやっていて楽しいですね。言わなくても感じるプレーの感覚だとかあとは「なんでそんなプレーができるんだ」と単純に凄いなと」

そんな比江島選手の大きな武器―
潮田「自分のストロングポイントはどんなところだと思いますか?」
比江島「自分の得意なのは1対1というかドライブ。ゴールに向かってプレーしていくというのは得意としているところで、自分はスピードがそこまでほかの選手と比べてないので、フェイントだったり色んなステップを踏んでいくのが自分の特徴というかプレースタイルであると思うので。そこは得意な部分ではあります」

「比江島ステップ」と呼ばれる独特なドライブ。
相手の重心を見極め、細かなドリブルとフェイントで相手を抜き去る。
実際に潮田さんがその「比江島ステップ」を体験してみることに―

潮田「すご~い!早すぎて何が起きたか分からなかったんですけど今の中にステップが入ったんですか?」
比江島「軽くしか入れてないですけど」
潮田「ボールを追っていたら、回転していなくなったんですけど」
比江島「そうですね。潮田さんが(ボール)を獲ろうとしたので、重心が前に行ったのでその逆を突くというか」

潮田さんの目線から見てみると―
比江島選手がディフェンスの足元を確認しているのが良くわかる。

ドリブルのリズムを変えながら、ディフェンスのタイミングを外すとー
重心を見極め一気に抜き去る

「誰にも真似ができない」と評されるこのドライブで比江島選手は日本のトッププレイヤーに登りつめた。
比江島選手は福岡県古賀市出身。
お兄さんの影響で6歳からバスケットボールを始め、百道中学校へ進学。
当時の顧問で、多くのプロバスケットボール選手を輩出した鶴我先生は、比江島選手との出会いをこう振り返る。

「その時は衝撃を受けましたね。その時単純に思ったんですね「こういう子が将来NBAにもし日本人が行けるとしたらこういう子なのかな」と、その時はそのような感じを受けましたね。それくらいもうすでに完成度の高いプレイヤーだったと思います。」 その後、京都の強豪、洛南(らくなん)高校へ進学。
在学時には、史上2校目となるウインターカップ3連覇に貢献。
青山学院大学を経て、プロの世界へ飛び込んだ。
比江島選手の輝かしい実績の裏には誰よりも息子の活躍を願う母の存在があった。

支えてくれた母のために―

去年5月には、Bリーグ2017‐18シーズンのMVPを獲得。
名実ともに日本バスケットボール界の顔となった比江島選手はオーストラリアリーグ・NBLへの挑戦を志すようになる。

潮田「海外挑戦のキッカケはなんだったんですか?」
比江島「リオデジャネイロオリンピックの最終予選で、ヨーロッパのチームと試合する機会があったんですけど、そこで初めて世界の壁にぶち当たったじゃないですけど、もっと成長するためには世界を見ておく必要があるなというのはキッカケでありましたし、東京オリンピックで活躍するというのが最大の目標でもあったので、そこまでに成長していたいというのがあったので」

その挑戦の裏にも、母の支えがあった。
比江島選手を最大限にサポートする為、マネジメント会社を設立。
チーム関係者や代理人に声をかけ、オーストラリアリーグの情報収集に奔走した。

潮田「昨年オーストラリアリーグにも挑戦されたと思うんですけど、お母様がかなりサポートをされたと聞いたんですけど、当時どうでした?」
比江島「オーストラリアに行くために色々動いてくれて、というのがあって」
潮田「お母様が情報収集とかも」
比江島「そうですね。どうしても海外に行く勇気が持てなかったというか、性格的にもネガティブなんで笑 でも、お母さんがせっかく作ってくれた道なので勇気を持って挑戦した」

しかし、移籍先を探していた去年の4月。
母・淳子さんが、突然の病に倒れ帰らぬ人となった。

「(母が亡くなって)1週間後くらいにチームに戻るという話をして「もう自分は大丈夫やけん、あとは兄ちゃんに任せることになるけど兄ちゃんも頑張って」という風に言われて。そこが印象に残ったと言いますか、嬉しかったですね。」

気丈な振る舞いを見せた比江島選手だったがMVPの受賞スピーチでは母への思いをこらえることができなかった。

Bリーグアワード比江島選手スピーチ「プライベートでも母親を亡くしてしまったり・・・・」

潮田「お母さんはどんな存在ですか?」
比江島「ここまでバスケを続けてこられたのもお母さんの存在はあったと思いますし、何回もバスケを辞めたいと思った時もあったし、つらい時期もあったんですけど傍で支えてくれたと言いますか本当にいろんな意味で支えてもらったので、まあ太陽のような存在ですね」
潮田「わあ~言われたい~」

去年8月、NBLのブリスベンブレッツへ移籍が決定。
親子の夢だった海外挑戦が今、彼の大きな糧となっている―

そして迎えたW杯アジア予選。3大会ぶりのW杯出場をかけた大一番で比江島選手が躍動する―

今年2月のW杯アジア2次予選、強豪イランとのゲーム。
勝てばW杯出場へ大きく近づく重要な1戦。

開始早々、比江島選手が魅せる―
1対1から相手DFを交わし、シュート。
比江島ステップが冴えわたる。

その後も3ポイントを立て続けに決めるなど、第1Qで12得点。

日本リードで迎えた、最終第4Q。
18点のリードを奪った日本だったが、残り5分からイランの猛攻―
6点差まで迫られる。

残り37秒―
比江島選手が上手く時間を使いながら、ミドルシュート。
「決めた―」「これは素晴らしい」

比江島選手はこの試合24得点6アシストをマークし、チームの勝利に貢献。
大一番を制した日本は、続くカタール戦にも勝利し、W杯進出を決めたー

日本代表のエースとして8月に開幕するW杯、そして2020年の東京オリンピック。
目指すものはただ一つ。

「お母さんをオリンピックに連れて行くっていう約束はずっと小さいころからしていたので―オリンピックでは本気でメダルっていうのを狙っていきたいなと思ってます。」

支えてくれた家族への思いを胸に、金色のメダルへー
そのステップで世界の頂点へ駆け上がる。