金色のアスリート

放送内容

2019.9.28 OA

渡辺 勝 車いす陸上

車いすを漕ぐ音

最高時速70キロ。

「レーサー」と呼ばれる3輪の競技用車いすを操るのは
福岡市出身、渡辺勝(わたなべ・しょう)27歳。
鍛え上げられた肉体でダイナミックな走りを見せる。

渡辺「圧倒的なスピード感が車いす競技の魅力」

競技を始めてわずか2年で世界選手権、銀メダル。
男子車いす陸上界のホープに迫る。



ことし6月に行われた陸上日本選手権。
トラック1500m、渡辺が輝きを見せる。

第4コーナーを周り、最後の直線で驚異の追い込み。

実況「外から渡辺、渡辺が上がってきた。渡辺がぐんぐんとぐんぐんと上がって、かわした、かわした、かわしたー」

国内トップクラスの選手たちを抑えての優勝。

渡辺「地元福岡でのレースだったので、勝ちたい、勝つ、そのために今回きたので勝ててすごくうれしいです」
潮田「パラアスリートは初めての取材になるんですね。一体、どんな選手なのか、そしてまたどんな練習を行っているのか、秘密を探ってみたいと思います」

潮田「速ーい。あっという間に。トップスピードに上げた時のあの回転の速さとか、あと車輪って言うんですか、漕ぎ方とか、気になるとこいっぱいありますよ」

競技を始めて9年。
車いす陸上界ではまだ若手とも呼ばれる競技歴。
福岡市出身、学生時代は野球一筋。
中学時代は県の選抜チームに選ばれ、高校では強豪の九産大九州で白球を追った。

しかし19歳の冬、悲劇が訪れる。

渡辺「この先どうやって生きて行けばいいのか…」

運転中の事故で脊髄を損傷し、下半身が不自由に。
10か月に及ぶ入院生活、絶望の淵に立たされた。

潮田「事故当初のお話も伺っていきたいんですけども」
渡辺「入院して3か月ぐらいしたら実は障がい者手帳の申請っていうのをするんですけど、その時に初めて自分が一生治らない、一生障がい者として生きていくっていう現実を突きつけられる形になるんですけど、その時はやっぱり辛かったですね」

当時の様子を渡辺の両親にたずねると―

渡辺の母「たぶん、悩んでたんだと思うんです。その時期。病院から脱走して…遊びに行くとかそういうんじゃなくて、ただ空を見に行くとかしてたらしいです」

そんな苦悩の日々に一筋の光をもたらしたのはある男性との出会いだった。
渡辺の現在の師匠でもある洞ノ上浩太(ほきのうえ・こうた)さん。
前回のリオまで、パラリンピック3大会連続出場の第一人者だ。

洞ノ上選手「病院の売店かどっかでリハビリの先生と会ったんですね、いま若い子がいますよって車いすになってて、昔スポーツやっててですねっていう感じで紹介してもらってリハビリ中の彼に、声をかけてですね。それが最初のきっかけですね。」

渡辺「いちばん最初に乗ったのは病院の廊下なんですけど、いきなり一番最初にこれ持ってきて、乗って!って言われて、乗り方が分からないんですよね」
潮田「始めて外に出て乗ったときどういう感覚でしたか?」
渡辺「河川敷を初めて走ったんですけど、すごく気持ちがよくて、久しぶりに外で運動することがすごくうれしくてそのときのスピード感、気持ちよさっていうのに一瞬で惚れましたね」

渡辺が虜になった車いす陸上。
そのこぎ方には、大きな特徴がある。

潮田「先ほど、こいでいるときにこれ、特に握ってないですよね」
渡辺「そうですね。グローブつけて、手は拳状にグーしてるようなイメージで」
潮田「グーのままなんですか?」
渡辺「これ、すごいスピードで回るじゃないですか、これを一回つかんで回すのは物理的に無理なので叩いて叩いて加速をかけていくようなイメージで」

車輪の外側にあるこの「ハンドリム」を拳で下へ押し込むようにこいでいるのだ。

実際に、潮田が体験させてもらう。

潮田「よいしょ、あ、入りました。(ギリギリ、ギリギリ)じゃあ、いきまーす。いくぞー、(おしおしおし ぐん、ぐん、ぐん、ぐん。)なんかちょっと、風に乗る感じというか、気持ちいいですね」
渡辺「楽しいです」

車いす陸上はやり投げなどのフィールド種目とトラック種目、ロードレースに分かれており、渡辺はトラックの中・長距離とマラソンでパラリンピック出場を目指している。

東京の切符を手にするには11月の世界選手権で4位以内。
または、来年の4月時点で世界ランキング6位以内に入る必要がある。

競技を始めてわずか2年の2013年。
世界選手権の1万メートルで銀メダル。
2017年には東京マラソンで優勝。
世界とも戦える。
パラリンピックが現実的な目標となった。

そんな渡辺を支えるのは家族の存在―。

1年半前に愛貴子(あきこ)さんと結婚。
去年、長男・輝(ひかる)くんを授かった。

大手印刷会社のスポーツ専従社員として、支援を受けながら競技に励む渡辺。
1年の半分は県外で試合などがあるため、3人で過ごすのは貴重な時間だ。
オフの時間を家族と過ごすことでメリハリが生まれ、厳しい練習を乗り越えられる。

渡辺「リラックスタイムですね。自分のためかもしれない。こんなことができるようになったってニヤニヤしながら」
潮田「いま家族をもっていかがですか?」
渡辺「息子をおっきく育てるためには、いくらかかるのかな?って調べちゃったり…おおお足りないっとかって。そういう現実結構感じながら、たぶんどこのサラリーマンとも一緒です。家族のために頑張らないとっていう思いはできましたね」

渡辺はことし6月にスイスに渡り2週間の武者修行。
リオで2つの金メダルを獲った
マルセル・フグとともに練習に取り組んだ。

渡辺「常に120%出す、常に本気で何事も取り組むというところがどれだけ大事かっていうところを感じましたね」

金メダリストから学んだのは、練習に取り組む姿勢と筋力トレーニングの重要性。
ウエイトトレ―ニングの量を増やし、胸筋を鍛えるベンチプレスで徹底的に体を鍛え抜いた。

そして今月、韓国。
東京につながる大事なレースが待っていた。
今月、韓国で行われたソウル国際車いすマラソン。
タイムが世界ランキングに反映され、東京パラリンピックにつながる。
渡辺にとって、大事な一戦だ。

渡辺「僕、初海外レースがこのソウルなんですよね、実は。初めて賞金を獲ったのもこのレースで、そういう意味ではけっこう思い入れがあるかもしれない」

試合前夜でも普段と変わらずリラックスするのが渡辺のスタイルだ。
ただホテルに戻ると気持ちは高ぶった。

渡辺「すべて大事になってくるのは言うまでもないんですけど、その中でもソウルのコースは比較的、過去にタイムが出ているコースで世界ランキングで6位以内っていうタイムはしっかり狙っていきたい」

そして、スタートの時…。

パン

しかし、その直後だった。
「アクシデント」。

渡辺「パンクしました」

スタートから400メートル地点で前を走る選手が転倒。レーサーの前輪が接触したのだ。

渡辺「初めて見ましたね。こんなパンクの仕方…」

無念の棄権。
実力を出し切ることなく、レースは終わってしまった。

渡辺「上り坂にすごい自信をもって臨んだ大会だったので、一回でもどれだけ上りで走れるか、一個でもいいから坂を走りたかったんですけど、それすらできなかった。そういう悔しさの方が大きいですね」

コーチ「ラスト、ほい、ラスト、ほい」

限られたチャンスを一つ逃した渡辺だったが、引きずっている時間などない。
帰国後も自分のやるべきことを黙々と続けている。
国内選考を勝ち抜き、11月の世界選手権出場を決めている渡辺。
いずれかの種目で4位以内に入れば、東京パラリンピック内定となる。

潮田「東京パラリンピックに向けて世界選手権に向けて、今後の目標っていうのをお聞かせください」
渡辺「ドバイ(世界選手権)で4位に入る。それができなかったら東京はないっていうくらいの覚悟をもって今やってます。周りが期待している以上の結果を僕自身が自分に期待しているので」

初のパラリンピック出場へ。
思いを車輪に乗せ、渡辺勝は走り続ける。